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◎奈良時代にもあった感染症 政権中枢の藤原四兄弟が死亡

 新型コロナウイルスのパンデミックはとどまるところを知らず、ついに世界で感染者が100万人を超しました。昨年12月ごろに中国・武漢で発生してわずか4カ月ほどです。

 人類は、感染症とのたたかいの歴史でした。14世紀のペスト、17~18世紀の天然痘、19世紀の結核、1918年のスペイン風邪(インフルエンザ)、57年のアジア風邪(インフルエンザ)、68年の香港風邪(インフルエンザ)、2003年のSARS、09年の新型インフルエンザ、12年のMERS…(日経、3月25日付)。

 日本でも奈良時代に天然痘(疱瘡)のパンデミックが政権の中枢を直撃しました。聖武天皇時代の天平9年(737)のことで、政権中枢を握り、「藤原4子政権」と言われる藤原4兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)全員が死亡しました。

 2年前の天平7年(735年)にも、九州の大宰府管内で流行。政権は、本州側で疫病の侵入を防ぐ道饗祭(みちあえのまつり)の執行を命じたことで、小康状態になったといいます。

 しかし、この後、平城京で広がり、天武天皇の皇子らが亡くなっています。この時の感染源は、遣新羅使が朝鮮から持ち込んだのではないかといわれています。

 遣新羅使の大使の阿倍継麻呂が対馬で亡くなっています。副使の大伴三中は病気のために平城京へ入ることができなかったといいます。大使、副使の相次ぐ病気は天然痘といわれています。

14 大極殿
(再建された平城宮の大極殿)

 聖武天皇は天平14年(742年)に、大仏造立詔を出します。仏教の力によって世界を豊かなものとしたいなどというものでした。天然痘の流行や政権争いを仏教によって救いたいと願ったのではないでしょうか。

 古代では感染症は死に至る恐ろしい病であり、政治、社会に大きな影響を与えました。現代では医学の発達で、治療薬やワクチンの開発は十分可能です。一刻も早い開発を願わずにはおれません。

 (注) 渡辺晃宏著『平城京と木簡の世紀』(講談社学術文庫)を参考にしました。

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新型コロナウイルス | 2020/04/04 20:49