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◎トヨタ本社工場をねらった核模擬爆弾 豊田市の戦争展 (下)

 終戦記念日のある毎年8月、豊田市で開かれている「平和のための戦争展」では、トヨタ自動車の本社工場が米軍にねらわれたことを明らかにするコーナーがあります。

 今年で32回になる戦争展は、豊田産業文化センターで開かれており、9月1日までです。トヨタ自動車コーナーでは、終戦前日のわずか1日前の1945年8月14日の午後2時56分、58分、3時1分に3発のパンプキン・模擬原子爆弾(5トン爆弾)が米軍によってトヨタ自動車めがけて落とされました。

16 パンプキン1発
(パンプキン1発目の関連の展示)

 なぜトヨタに爆弾、それも長崎原爆を投下した原爆投下部隊がトヨタを狙ったのでしょうか。戦争展の実行委員会の代表委員の冨田好弘さんがくわしく調べてきました。

 冨田さんによると、トヨタは重役会議を解散させられ、東条英機首相を管理者とする軍需工場の一つとなっていました。トヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎が強く願った乗用車の製造を軍から禁止され、航空機部門のエンジンの製造に切り替えられた直後でした。

 トヨタへの投下は、米軍が日本に全面降伏を迫る総仕上げの作戦の一つであったというのです。パンプキンの破片は戦後70年間、民家の床の間に刺さり、家主が大切に保存していました。家の建て替えで取り出し、2016年の戦争展に展示されたものでした。

14 パンプキン 破片
(パンプキンの破片)

 トヨタコーナーでは、戦争展の実行委員会が、3発のパンプキンが落ちた様子をこれまでくわしく調べた結果を展示しています。その1つに、豊田英二・元社長(2013年に100歳で亡くなる)の著書『決断』から引用しています。

……
 最後の爆弾は8月14日の午後に食らった。B29が3機来て、500キロか1トンぐらいの爆弾を1発ずつ落としていった。

 1発目は、(トヨタの)社宅のすぐ近くに落ちて、大きなすり鉢のような穴があいた。2発目は、矢作川に落ち、これも人畜に被害はなかった。

 3発目が(トヨタの本社)工場に落ちて工場の4分の1ぐらいが壊われてしまった。この日は昼前から機銃掃射があり、従業員は疎開工場に行っており死傷者が出なかったのが不幸中の幸いである。
……

12 パンプキン2、3発
(パンプキン2、3発目の関連の展示)

 英二氏は、トヨタの社長としては労働者と対決しましたが、平和の問題では、「豊田市平和を願い戦争を記録する会」へ貴重な情報を提供するなど歴代の社長にない思いをいだいた人でした。

 核模擬爆弾を投下したB29機の機長、フレデリック・C・ボック氏は、1993年に英二氏へ手紙を送りました。英二氏の自伝を読み、一部の記述に誤解があり、誤解の修正と追加情報を提供したいというものでした。

 ボック氏は、爆弾は1万ポンド爆弾で、同型の爆弾が8月9日に長崎に落とした原爆「ファットマン」であること。これと同サイズのタイプでプルトニウムの代わりに高性能爆薬を詰めた「パンプキン」(カボチャの意味)を豊田に落としたことを明らかにしました。

 たんなる爆弾ではなく、核模擬爆弾だったのです。この手紙は、英二氏から「記録する会」へ提供され、公開されています。パンプキンのトヨタへの投下は、アジア・太平洋戦争最後の『爆弾投下』だったのです。

 トヨタは今、世界1の自動車メーカーの地位を争う大企業になりました。もし戦争が長引いていたのなら、今日のトヨタの地位はなかったことでしょう。乗用車の国産化の夢を抱いていた喜一郎の夢は戦後、実現しました。

 「平和であってこそ乗用車を生産・販売できる」――戦争展のトヨタコーナーを見ながら改めて痛感しました。
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戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2019/09/01 11:16
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