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◎ストライキ者達への連帯感 岸恵子さんのエッセイ


 昨日に続いて、女優で作家の岸恵子さんの話である。岸さんが月刊誌『文芸春秋』(2000年5月号)に書いた「顔に流れる川」のエッセイがある。そこに、パリで見たストライキの様子が生き生きと描かれている。

……
 ヨーロッパは冷戦終結以来、移民や亡命者が続出し、彼らを胸を開いて迎える人、突慳貪(つっけんどん)に追いやり、ヒトラーまがいに純血主義を掲げて拳をあげる人、主張と個の氾濫である。

 一つだけ私が唸るほど感心するのは、長期にわたるストライキの中で市民が見せるグレヴィスト(ストライキ者達)への同情と連帯感である。四年前クリスマス前のかきいれ時に、パリ市の乗物がタクシーを除いて、全てストに突入し、一ヵ月間、町は貸し自転車を漕ぐ中年や、ローラースケートで走り廻る若者が徒歩者とぶつかって転んだりの大混乱。

 郊外電車だけが間引き運行していて、駅で数時間待ちの黒山の人も肩をすくめるだけでグレヴィストを支持する。日本ではこうはいかないなと私は思った。

 最近起った脱線事故は別として、嵐や大雪で電車や飛行機のダイヤが乱れると、たった数時間のことでも日本人には我慢がない。一日中飛行場に足止めでもされると普段大人しい日本人が凄い形相で係員に喰ってかかったりする。 
……

東京駅
(働きすぎの日本の労働者=東京駅で)

 これを読んだとき、さすがにフランス革命以来の自由と民主主義の伝統の国だと思った。ストライキは労働者の当然の権利だと認め、ゼネストで交通手段がなくなっても、岸さんが書くようにストライキ者達と連帯し、支持するのである。

 岸さんが書いたのは2000年だが、フランスでは今でもストライキは日常的だ。国鉄、大学教授、保育園、郵便局など、ストライキで「権利を主張するのは当たり前」などといわれている。

 それと比べて日本はどうか、と岸さんは問うのだ。日本の大企業でストライキがなくなって久しい。日本製鉄など鉄鋼の職場では、1960年代中ごろでストライキがなくなった。日立製作所などの電機の職場では、春闘でストライキをしたのは1970年代中ごろが最後だった。

 トヨタ自動車では、1950年に労働者の5人に1人に当たる希望退職募集に、組合が事実上の無期限のストライキでたたかう大争議が起きた。これに驚いたトヨタは、労組に介入し、社長と組合委員長が「労使宣言」(1962年)を結ぶと、いっさいストライキはなくなった。

 日本は、いまやストライキがない国として知られている。その結果、何が起きたのか? 過労死・過労自殺の労災認定が年間約200人にものぼるなど働きすぎ社会として有名である。国民と労働者との連帯感がなくなると、国がどうなるかを示している。
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過労死 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2019/08/14 21:20
コメント
共産党は党職員が労働者としての権利を認めるようにいつかストライキでも起こされる側なんじゃ無いですかね?
国会議員を輩出する政党で唯一の「党職員は労働者じゃない」なんて言う時代錯誤を続けてますし。
末端の党職員立ち上がられるのも時間の問題では?
No title
同じコメントをくり返ししてきますね。党職員のことを心配する時間があるのなら、わかっているだけでも過労死の認定が関連会社合わせて6件にもなるトヨタの労働者のことの方に思いをはせてください。
党職員と言う身内の労働者としての権利を蔑ろにする人が権力を持てば「あれも労働者ではない」「それも労働者ではない」と次々と権利を奪っていくでしょう。

下記のような歴史の教訓を日本共産党がしない保証は全く無い。


ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
過労死の認定を受ける = 労働者として扱われている

共産党の党職員のように「労働者ではない」等とされたら過労死として扱っても貰えない。

「労働者ではない」と言う判断の恐怖を甘く見すぎているのでは?
無責任な共産党は自由

ストを煽り、企業の責任にし

バカな理想像を出す

反面、党員には

理想の為に動いているから

労働ではない。とか😂


私達も理想の為に動いてます

1000時間位、残業させま~す🤭

でもOKなんだよね

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