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◎「令和」と大伴旅人

 5月1日から元号が「令和」になりました。「令和」は、『万葉集』巻5の「梅花の宴」の序文から採用したものです。奈良時代、大宰府(福岡県)の長官だった大伴旅人が、梅をめでる宴(天平2年、730年)を催し、そこに集まった官人たちが32首をつくりました。

 「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す」

 令和元年のこの日、太宰府市の大宰府政庁跡では、約1500人が「令和」の人文字を作りました。政庁跡の西北にある坂本八幡宮では御朱印を参拝者に配布しました。同八幡宮は、旅人邸があったといわれています。

 都があった平城宮から遠く離れた旅人邸では、しばしば宴が開かれました。平城京遷都後、最大の事件といわれるのが「長屋王の変」(天平元年、729年)です。

 長屋王は、天武天皇の孫で、聖武天皇に次ぐ血統といわれ、政権トップの左大臣でした。力をつけてきた藤原氏から「左道を学び、国家を傾く」という罪名を着せられ死罪になります。

 長屋王に近く、正三位で大納言の高官だった旅人は、「長屋王の変」の前年の728年に大宰府の長官に任命されます。64歳の老齢だったことなどから左遷説があります。

16 梅


 2月2日に100歳で亡くなった古代史の泰斗、直木孝次郎大阪市大名誉教授は、「大宰府における大伴旅人――小野老を迎える宴を中心に」で、旅人の歌などをもとに「長屋王の変」を読み解いています。

 当時、大宰府での政治の状況を都に報告する役割だったのが大宰少弐小野老朝臣老(おゆ)で、都から戻った老を迎える宴で歌われた10首が万葉集巻3に掲げられています。

 小野老が歌ったのは、有名な「あをによし 奈良の都は咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり」でした。

 これに対し、旅人が歌ったのは、「我が盛り またをちめやも ほとほとに 奈良の都を 見ずかなりなむ」でした。現代語訳では、「私に若い盛りがまた返ってくるだろうか。そういうことはなく、奈良の都をふたたび見ることはあるまいよ」です。

 直木氏は、「長屋王事件を藤原氏対長屋王の対立という図式で解釈するなら、老は藤原氏側の人物であったと見られる」と指摘します。奈良の政界は藤原氏のものとなり、「老の前途は洋々である。この心境が『あをによし 奈良の都は』の歌を作らせたのであろう」と推測します。

 一方、「長屋王が没落し藤原氏が権をふるう都は、文化の花が咲き匂っていようとも、年老いた旅人には魅力がなかった」と旅人の心情に思いを馳せます。梅をめでる宴とは違って、冷たく寒々しい気分に満ちた宴になったと直木氏は読み解きます。

 小野老を迎える宴の翌年の正月13日に開かれた梅をめでる宴。旅人は、権力闘争の非情さを忘れ、あるいは達観して、「令月にして、気淑く風和ぎ」のなかで、梅をめでたのではないか…。しかし、その心情は複雑だったでしょう。
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その他 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2019/05/01 22:25
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