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◎益川敏英自伝 『僕はこうして科学者になった』

 今年の正月明けから3月まで、中日新聞・東京新聞に、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さん(名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構機構長)の自伝が掲載されました。読みやすく、痛快な益川さんの自伝が『僕はこうして科学者になった』(文芸春秋)として出版されました。

 益川さんが小林誠(高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授)さんともに、クオークが6種類あることを予言した「CP対称性の破れ」の論文で受賞したのは、2008年。リーマン・ショックで、日本が派遣切りの嵐が吹き荒れた暗い時代でした。

 冒頭、思わず爆笑するのは、受賞後、駅のホームの中央を歩くようになったというエピソード。日本中に顔が知られ、突然、握手を求められることが多く、ホームの端を歩くとレールに転落しそうになるからといいます。

 英語が苦手で、唯一の英文の博士論文を書いたものの、指導教授から真っ赤に直された原稿を秘書にタイプを打ち直ししてもらいますが、そのタイピストと恋人になり、やがて結婚にこぎつけます。

益川自伝
(『僕はこうして科学者になった』=文芸春秋=から)

 自伝には、ノーベル賞受賞記念講演が掲載されています。冒頭、英語が話せない、というところだけ英語で話し、後は日本語で「CP対称性の破れ」について語ります。

 物質と反物質のわずかな性質の違いが「CP対称性の破れ」といいますが、講演では方程式も引用して語るために、極めて難解で、いくら読んでも理解ゼロです。

 この講演で、戦前、父親の小さな家具工場が「自国が引き起こした無謀で悲惨な戦争で無に帰した」とのべたところ、「学問の場で戦争の話をするのはいかがなものか」と批判されたといいます。

 益川さん、ノーベルがダイナマイトの発明で財をなした人であることにふれ、「何が悪いのか分からない」とのべ、「むしろ科学と戦争のかかわりについて考える大切な機会」と反論します。

 自伝の最後の方で、「戦争はあと200年後でなくなる」と語っています。安倍政権の安保法制(戦争法)に反対し、学者の先頭にたった益川さんの思いが詰まった言葉と感じました。
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戦争と平和 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/10/24 10:00
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